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33歳初留学、思い出のトロント音楽体験記: UNSANE w/ BIG|BRAVE / CHILD BITE / ANCRESS @ Hard Luck Bar

UNSANE

 

「やぁ、気分はどうだ?」

 

実際の言葉が「Hi, how are you?」だったか、それとも「Hey, how’s it going?」だったか定かではないが、ステージ脇の物販コーナーを手持ち無沙汰にうろうろしていると、見知らぬ男に突然声をかけられた。頭をフル回転させて「I’m so excited!」となんとか答えると、「もちろん、俺もだ!」と笑顔で返してくれた。

 

滞在スタートから既に3ヵ月。にもかかわらず、こんな簡単なやりとりでさえ、やっとのことなのは無理もない。2017年12月16日、私は日本から遠く離れたカナダの都市、トロントにいた。

33歳にして初めての海外留学。というか、高校の修学旅行でオーストラリアに3日ほど滞在したことを除けば、海外に来ること自体が初めてなのだ。もちろん英語の勉強なんて、大学受験以来。そもそもこの歳まで、まともに英語を喋ろうとしたこともないのである。

 

トロントに着いて間もなく語学学校がスタート。朝から夕方まで授業を受けた後は、クリスチャンのボランティアが教会で開催している英会話カフェや、フードコートなどで開催されているランゲージ・エクスチェンジなんかにも参加するようになった。しかし既にワーキング・ホリデーの年齢制限を超えていた私にとって、現地で英語に触れる手段は限られてくる。

6ヵ月間のスチューデント・ビザ。条件によっては現地で延長することも可能だが、いずれにしても限られた時間を有効に使うには、どうするべきか……。そこで到着から3週間が経った頃、私が自らに課したのが、次のルールだった。

 

週に一度は必ず、ライブハウスやナイトクラブに出かけること

 

趣味である音楽を通じて、現地の文化や言語に触れようという単純な作戦だ。しかし結果としてこのルールは私に、トロントで活動するDJやアーティストたちとの出会いと交流をもたらし、計8ヵ月の海外生活を忘れられない思い出にするのであった。

 

かくして私は一人、見知らぬトロントの街へ夜な夜な繰り出すようになった。初めてのライブ鑑賞は9月末。地元トロント出身のガレージ・ロック・トリオ、METZの3rdアルバム発売記念ライブを皮切りに、10月にはニュージーランドのシンセ・ポップ・バンド、Yumi Zouma。12月初頭にはポスト・ロックの代表的バンド、Mogwai。そして日々開催される地元のクラブイベント……と、順調に現地での音楽体験を重ねていった。

しかし、カナダのあまりにも厳しすぎる冬の寒さのせいか。12月半ばから2月にかけては、海外のバンドがほとんどトロントに来ないという事態に陥ってしまった。事実、毎日のようにライブ情報をチェックしていたにもかかわらず、翌年3月のSnail MailとOughtの共演ライブまで、しばらくバンドのコンサートは見ることができなかったのである。

といっても幸運なことに、この頃にはトロントを拠点とするテクノ、ハウス系のDJたちと知り合うことができたため、目標である週1回以上の音楽イベントへの参加には困ることがなかった。彼らとは今でも、たまにメッセージのやりとりをしている。おかげで帰国まで実際にこのルールを守り切ることができたのは、私の留学生活における大きな自慢となっている。

 

しかし、そんな海外アーティストも敬遠する?冬のカナダを物ともせず、しかも57年ぶりに最低気温記録を更新したという氷点下22℃のトロントへやって来たバンドがいた。ニューヨークの血まみれノイズ・ロック・トリオ、UNSANEである。

1988年、ギター・ボーカルのChris Spencerを中心に結成。以来、MatadorやAmphetamine Reptile、Relapse、IpecacAlternative Tentacles、Southern Lord、そして日本では今はなきZK records……と、一癖も二癖もあるレーベルから長年にわたって作品をリリース。血しぶきのような重金属ノイズと、全作品とも凄惨な事件を予感させる血だらけのジャケット写真で知られるベテラン・ハードコア・バンドだ。ちなみに日本においてはデビュー当初、当時大人気だったJon Spencer Blues Explosionの兄弟がやっているバンドと、まことしやかに紹介されていたが、実は全くのデマだったというのも有名な話だったりする。

来日ツアーも何度か行なっているが、実際にライブを見るのはこれが初めて。学生の頃から聴いていたバンドのライブを、まさか縁もゆかりもないカナダで見ることになろうとは……。

 

 

深夜でも公共のバスが朝まで走っていることもあってか、トロントのライブ開始時間は日本に比べて遅い。オープン時間の夜8時過ぎ、受付で支払いを済まして会場へ入ると、後方のバースペースでは血に飢えたノイズ・ロック・マニアたちがドリンクを飲みながらくつろいでいる。会場の名前は『Hard Luck Bar』。すなわち不運の酒場。残虐ノイズ・ロック・ショーを鑑賞するには、ぴったりのネーミングである。

言葉もろくに通じない、見知らぬ土地の見知らぬ空間。トロントの音楽イベントでいつも感じていたのは、日本では味わうことのできない不思議な高揚感だった。そんな異国の地ならではの緊張と興奮を噛みしめながら、薄暗い会場を一人でうろついていたところ、冒頭のやりとりが起きた。ごく短い会話ではあるが、これだって街へ出たからこそ得ることのできた、現地の英語に触れる貴重な機会なのだ。

 

そうこうする内に、ライブ開始時刻の夜9時を迎えた。いよいよショーが幕を開ける。

Ancress

Ancress

最初にステージに現れは、Ancressという地元のバンド。オープニング・アクトということもあり、まだまだ多くの観客がバー・スペースでお酒を飲みながら見ているため、ボーカルはステージを降りてフロアでシャウト。ブラスト・ビートなども取り入れつつ、メタルコア風のリフをバシバシと決めていく。

ていうかベースを弾いているのは、さっき話しかけてきた奴じゃないか! 演者だったのか……。彼もまた出演者としての緊張と興奮から、私に話しかけてきたのかもしれない。

 

 

Child Bite

Child Bite

続いて現れたのは、デトロイト出身のバンド、Child Bite。どこかブルージーな土臭さを感じさせるワイルドなパンク・サウンドは、長髪、ひげもじゃ、と見るからにむさ苦しいメンバーの見た目と相まってインパクト大。特にボーカリストの乱暴なパフォーマンスには、Jesus Lizardのデビッド・ヨウにも通じる怪しげな魅力があった。

 

 

 

Big ‡ Brave

Big ‡ Brave

続くBIG|BRAVEは、トロントの東に位置するモントリオール出身のトリオで、当時のUNSANEとはレーベル・メイト。同じくSouthern LordのSUN O)))やEARTHを思わせるバカでかい音のヘビーなドローン・ノイズをミニマルに反復させる展開は、今やシカゴの音響派レーベルThrill Jockeyに所属しているのも納得のサウンド。正直、全曲一緒に聞こえないこともないが、呪術的なメロディーを可憐に歌い上げる女性ボーカルの伸びやかな歌声も印象的だった。

 

 

UNSANE

UNSANE

気がつけばフロアにも大勢の人が詰めかけている。誰もが主役の登場を待ち構える中、ついにUNSANEの3人が姿を現した。演奏が始まるや否や、あの痛ましいアートワークそのままの無慈悲なサウンドが炸裂! 断末魔の叫びのようなノイズと地を這うようなグルーヴが、重く鋭い刃物で観客を切りつけ押し潰すかのように轟いた。

この日のライブは8枚目のアルバム『Sterilize』のリリースに伴うツアーであったが、スケボーの失敗シーンばかりを集めたPVでもおなじみ「Scrape」といった往年の人気曲も披露され、長年のファンたちの期待にもしっかり応えるセットリストが約1時間にわたって演奏された。

 

想像どおりの鬼気迫るパフォーマンス。しかし意外だったのは緊張感というよりも、むしろ素直に演奏を楽しむようなリラックスしたムードが感じられた点だ。これもベテランならではの余裕だろうか。

いや、考えてみればUNSANEは元々、エモーショナルにエネルギーを爆発させるタイプのバンドではなく、不適な笑みを浮かべながら殺気だった轟音をクールに鳴らすバンドという感じがする。あの嫌がらせのようなアートワークにどこかユーモアが感じられるのも、そんな悪意を楽しむような独自のスタイルが貫かれているからだろう。

一方の観客たちもモッシュやダイブの嵐などではなく、こちらもリラックスした様相で大いに盛り上がっている。残虐ノイズ・ショーを楽しむ紳士淑女たちの集い。そんな土曜日の夜であった。

 

ライブが終わると、観客たちが物販で購入したポスターを手にサインを求め、ステージの前で列を作っていた。メンバーも先ほどまでの形相とは打って変わり、ファン一人一人に応じ、丁寧にサインを書いている。

私も物販で、血のような色でバンド名があしらわれたTシャツを購入。サインを求めるファンたちの後ろで、メンバーの方へTシャツを掲げながら出口へ向かうと、それに気づいたクリスは無言でうなづき、サムズアップを返してくれたのだった。

 

残虐ノイズ・ショーを楽しむ紳士淑女たち

残虐ノイズ・ショーを楽しむ紳士淑女たち

 

これが2017年にカナダで体験した最後のライブとなった。会場を出てからのことについては、まったく覚えていない。何しろ5年も前のことだ。

後にちょっとした金銭トラブルで揉めることになるフィリピン人ホストファミリーのホームステイ先に帰り、お気に入りだった地ビールのWaterlooかカナディアンウイスキーGibson’s 12 yearでも飲んだんじゃないだろうか。異様に金に汚いホストマザーからは、この日のように夜遅くまで出歩いたり、同じ家の若い住人と酒盛りをしたりしていたせいで、前々から目を付けられていたのだ。

 

そんなトラブルも含め、トロントでの生活は私に数多くの思い出を与えてくれた。まるっきり退屈な私の人生において、あんなにも楽しい時間が訪れるとは、想像もできなかったほどだ。

元はと言えば海外留学自体、単なる思いつきでしかなかった。この先どうやったって楽しくなりそうにもない、さえない毎日を何とかしたい。そんな現実逃避のような気持ちで出かけたトロントだったが、今思い返すと本当に現実とは思えない、夢の中にでもいたような特別な時間となってしまった。

 

あれから5年。未知なるウイルスの発生により、世界の様子は一変した。世界中のクラブやライブハウスが閉鎖され、ミュージシャンはコンサートの中止を余儀なくされた。海外渡航も制限され、私が当時利用した留学エージェントも閉業してしまったらしい。

そうした影響もあってか、UNSANEも2018年のライブを最後に、30年にも及ぶ活動にあっさり終止符を打ってしまう。私もすっかり、さえない毎日に逆戻り。それどころか歳を取った分だけ閉塞感は募り、人生の虚しさは増すばかりだ。

 

そんな中、私のInstagramアカウントに突然のメッセージが届いた。帰国後に投稿した、あの日買ったTシャツの写真を見たイタリア人からで、UNSANEのファンジンを制作中だと言う。当時のライブの情報や思い出をシェアしてほしい、とのことだった。

一度は解散を発表したUNSANEであったが、実は2021年、新たなラインナップで活動を再開。今年9月には、線路に横たわる遺体のジャケ写もショッキングな1stアルバムがリマスタリングされ、31年ぶりに再発されたのだ。

 

私に突然の連絡をくれたStefanoという男が作るファンジンも、10年ぶりの復活だという。そういえば今年はUNSANEの日本盤を出していたZK recordsのコンピレーション・アルバムも30年ぶりに復刻されたし、主催者・痛郎氏も生誕60周年記念ライブを行った。おまけに年末には、ホームステイ先で一緒に酒盛りをした韓国人の友達も日本へ遊びに来ると言っている。

 

当時のことを振り返るには、これ以上ないタイミング。かく言う私自身も、帰国してから3年半勤めた会社を辞めることにした。いつか再び、トロントにいた時のような楽しい時間が訪れるなどという保証はどこにもないが、そのためには私もまた血を流して戦わなければならないからだ。などと言うと聞こえはいいが、年明けから勤め先でリモートワークが廃止され、毎日出社しなければならないのが嫌で辞めるだけなのだが……。

この先どうするかは決まっていない。しかしせっかくの無職だ。時間もできることだし、まだまだ書き尽くせない当時の思い出やトラブルについて、また少しずつ書いていけたらと考えている。

 

 
 
 
 
 
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参考:

https://www.facebook.com/HardLuckBar/

https://issuu.com/equilibrioprecario_zine/

https://robotradiorecords.bandcamp.com/