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Codeine: ニューヨーク・スロウコアの軌跡

NYSC: New York Slowcore 1989 - 2024

NYSC: New York Slowcore 1989 - 2024

 

1989年の結成から35年。2024年4月、ニューヨークが生んだ伝説的スロウコア・バンド、Codeineの初となる来日ツアーが実現しました。

彼らが残した音楽の特徴や重要性、その影響などについては当ブログ最初の投稿である下記の記事をぜひご一読いただきたいのですが、書いた当時は新型コロナウイルスの蔓延によって緊急事態宣言が発令されたばかりの頃。彼らの活動再開はもちろん、ましてや来日公演を見られる日が来るとは夢想だにしていませんでした……。

そんな奇跡の来日を記念して、この記事ではCodeineというバンドの歩みについて掘り下げたいと思います。

 

1987~1988年: Stephen Immerwahr、John Engle、Chris Brokawの出会い

性別や人種による入学制限を全米で初めて取り払ったリベラル・アーツ・カレッジオハイオ州オーバリン大学。1833年の創設以来、著名な芸術家を多数輩出してきた名門大学だが、1980年代後半には、Liz PhairやJohn McEntire、Sooyoung Parkなど、オルタナティブな音楽シーンに大きな影響を与えるミュージシャンを数多く送り出している。

ワシントン州シアトルの郊外、グラニット・フォールズで育った内気な青年、Stephen Immerwahrもその一人。1982年の秋、Vox製のエレクトリック・ベースを片手にオーバリン大学へ入学した彼は、後にSeamのメンバーとなるLexi Mitchellと出会い、彼女を通じて学内にいるミュージシャンとの交流を深めていく。LexiとSeamを結成するBitch MagnetのSooyoung Park。Codeine作品のレコーディングおよびプロデュースを手がけることになるエンジニア、Mike McMackin。その後の音楽活動を後押ししてくれる友人が所属していたのも同じ大学内のコミュニティだった。

Stephenも最終学年時にはLexiとのバンド、The Liliesを結成。Mike McMackin協力の下、Jesus and Mary Chainに影響を受けたノイジーなオリジナル曲を数曲録音するが、ほどなくして解散している。彼の音楽活動が本格化するのは、オーバリンを離れてからのことだった。

 

大学卒業後の1987年1月、ニューヨークで友人の家を転々としていたStephenは、同じオーバリン大学の後輩に当たるオルタナ・クイーン、Liz Phairの楽曲タイトルにもその名を残す学友、Jeremy Engleの家に居座ることになる。そこで出会ったのが、ニューヨーク州立大学ニューパルツ校を中退し、建設現場でアルバイト生活を送っていたJeremyの兄、John Engleだった。

すぐに仲良くなったStephenは、いつか彼とバンドを組みたいと思ったそうで、二人はJohnの所持する4トラック・レコーダーに自作の曲を録音し始める。その中には、後にCodeineのレパートリーとなる楽曲も既に存在。当時、Mike McMackinのスタジオ、Sound On Soundでアシスタントとして働いていたStephenは、スタジオの空き時間を利用してそれらのスケッチをまとめ上げ、最終的に『Squid + Bigheads Burst Compilation』というカセット・テープを自主制作する。

 

その音源を聴き、彼らとバンドを結成することになるのが1986年にオーバリン大学を卒業したChris Brokawだった。彼が在学中に組んでいたハードコア・バンド、Pay The Manは学内シーンの起点となるようなバンドだったそうで、Bitch MagnetのドラマーとなるOrestes DelatorreおよびPeter Pollackも在籍。Chrisも卒業後にはGG Allinのバンド、The Aids Brigadeに短期間ではあるが参加し、Homestead RecordsからEP『Expose Yourself To Kids』をリリースしている。

お互い面識こそあれ、在学中に言葉を交わしたことはなかったというStephenとChrisだったが、共通の友人であるSooyoung Parkの引き合わせによりバンドを結成することになる。1988年、大学を卒業してボストンに住んでいたChrisの元へ、「絶対に気にいるはず」とSooyoungから『Squid + Bigheads Burst』のカセットが届く。その楽曲をいたく気に入ったChrisは、すぐさまStephenに連絡。ニューヨークまで出向き、バンド結成の意向を伝えたという。

 

1989~1990年: Codeine結成と初ライブ

この計画を促し、バンドが世に出るきっかけを作ったのもまたSooyoungであった。1989年、彼はStephenにボストンで行われるBitch Magnetのライブへの出演を依頼。これを受けたStephenはJohnとChrisに声をかけ、以前から構想していたバンドの結成を実行に移す。

それは意図的にテンポを落とし、アヘン剤を使用したような緩慢さを用いて、感情の内なる激しさを表現するバンドだった。そしてそれは、アヘン由来の鎮痛剤にちなんでCodeineと名付けられた。

こうしたバンドのコンセプトについてソング・ライターであるStephenは、大ファンだったロンドン出身の女性ソウル・シンガー、Dusty Springfieldの45インチを33インチにスローダウンしたようなレコードを作ってみたかったと振り返っている。そしてそれは、当時よく聴いていたという「自分ではとても演奏できそうにない」スピード・メタルからの逆転の発想でもあったそうだ。

 

その後、StephenはBitch Magnetのヨーロッパ・ツアーにPAとして帯同。その際に持ち込んだデモ楽曲「Pea」を気に入ったBitch Magnetはツアー終了後、ルイヴィルでのレコーディングにStephenとJohnを呼び、共に楽曲を録音する。

その音源は1990年にアトランタのレーベル、Communion Labelからリリースされたシングル『Valmead b/w Pea』に収められ、バック・スリーブには「Bitch Magnet backed Codeine」のクレジット表記がなされた。


さらにBitch Magnetはヨーロッパ・ツアーの報酬としてStephenに対し、インタビュー内に注目のバンドとしてCodeineの名前を挙げることを約束する。その試みは見事に成功し、興味を示したドイツのインディー・レーベル、Glitterhouse Recordsは、たった1回のライブしか行っていないバンドにも関わらずレコーディング費用を提供。バンドは契約を正式に成立させるため、ブルックリンに住むMike McMackinのアパートの地下室にて、数ヶ月に分けて片面ずつ、合計4日間を費やしてアルバムを完成させるのであった。

その陰惨なサウンドとは裏腹に、このレコーディング作業は本当に楽しいものであったらしい。StephenもChrisもバンドでの一番の思い出を聞かれた際には、ドイツから郵送で受け取った完成したばかりのLPをリハーサル室に持っていき、安くてまずい葉巻をメンバー全員で吸いながら初めて聴いた時のことを挙げている。

 

1990~1991年: 『Frigid Stars』とスロウコアの誕生

こうしてCodeineはGlitterhouseより、1990年11月にリリースされたEP「Pickup Song b/w 3 Angels」(ジャケットはWipers『Over the Edge』のオマージュ)でデビューを飾る。そして3ヶ月後の1991年2月には、記念すべき1stアルバム『Frigid Stars』をリリースする。

「極寒の星々」を意味するアルバム・タイトルは、The FallのMark E. Smithによる「Crap Rap/Like 2 Blow」の歌詞「We are frigid stars」に由来。ジャケットにはStephenが図書館で探してきた星の写真をネガポジ反転したものを使用し、印象的な裏ジャケにはJohnが撮影した、彼のアパートで気絶したように眠る友人の写真が採用されている。

なおアルバムにはSooyoungがBitch Magnet解散後にLexi MitchellやSuperchunkMac McCaughanと共に結成するSeamの楽曲「New Year’s」のカバーが収められている。これは元々、StephenがJohnの家に居候していた頃、よく遊びに来ていたSooyoungとLexiがJohnの4トラックに録音した音源をカバーしたものだったそう。そのため本人たちがSeamの1stアルバム『Headsparks』で正式にレコーティングを行うよりも前に、Codeineによるカバーの方が先に世に出ることになったそうだ。そしてそこには、「Pea」をカバーしたSooyoungへのお礼の意味が込められている。


Chrisがボストンに住んでいたこともあり、なんとこの時点ではまだ数回しかライブを行ったことがなかったというCodeine。他とは一線を画すプレイ・スタイルは、当時の観客から理解を得られないことも多かったそうだが、『Frigid Stars』のシンプルながら強烈なインパクトを持ったサウンドは音楽誌からの評価も高く、各地で評判を呼ぶことに成功する。しかしアメリカ国内ではヨーロッパからの輸入盤しか手に入らなかったことから、当初はドイツのバンドと勘違いされることもあったそうだ。

そこでGlitterhouseは自らがヨーロッパでのディストリビューションを請け負っていた、シアトルのSub Pop Recordsにバンドを紹介。しかしレーベル・オーナーのBruce PavittとJonathan Ponemanがバンドのコンセプトを受け入れるのには数ヶ月を要し、初期にはなんと「グランジ風のギターを入れられないか」という冗談のような提案も受けたという。

シアトル郊外で育ったStephenはGreen RiverやMother Love Boneといったプロト・グランジ・バンドのファンでもあったが、バンドの目指す音楽はドラマチックなロックへのアンチテーゼでもあった。そのためSub Popとの契約には不安もあったそうだが、同時期にBeat Happeningが初の非グランジ・バンドとしてSub Popと契約したことに安心を覚えたという。

最終的には、まだ6回目か7回目だったというライブを見たレーベルが理解を示したことで契約が成立。『Frigid Stars』はレーベル内でも異色の作品としてアメリカ国内でもリリースされ、新たに発売されたCD版には「3 Angels」と新録版の「Pea」がボーナスとして追加された。

 

このようにして生み出されたCodeineの遅くて悲しいハードコア・パンクは、いつしか「Slowcore」と呼ばれるようになり、彼らに続いて同時期に作品を発表したRed House PaintersやBedhead、Lowといったバンドたちと同じジャンルで括られることとなった。

なおSlowcoreという言葉の正確な起源は不明で、今では彼らよりも先に活動をしていたサンフランシスコのAmerican Music ClubやボストンのGalaxy 500がルーツに挙げられている。しかし実際にこの言葉が使われ始めたのは90年代に入ってからのことであり、リリース時期から考えるとCodeineが最初のバンドとも考えられる。

 

ただし、かつての「Punk」という呼び名がそうであったように、「Slowcore」というタグ付けは多くのバンドにとって、決して居心地の良いものではなかった。BedheadのMatt Kadaneに至っては、遅さはバンドの本質ではなく「侮辱的」だったとまで発言している。

しかし一方のCodeineメンバーは、このSlowcoreという目新しい言葉を面白がり、冗談めかして使っていたそう。Chrisは自らのプレイを「スネアを叩いたら、ドリンクを取りにいって次のビートまでにドラムキットに戻れる」と発言。Stephenも実現こそしなかったものの、New York Hardcoreの有名なロゴ「NY × HC」をもじって「NY × SC」をバンドのロゴにしようと冗談半分で考えていたそうだ。

 

ちなみにSlowcoreの同義語には「Sadcore」という言葉もあり、明確な線引きはなされていない。しかしこの言葉は2005年に活動を開始した女性シンガー・ソング・ライター、Lana Del Reyが自らを「Hollywood Sadcore」と称したのに代表されるように、2000年代以降に使われるようになったと考えられている。

実際にCodeineのメンバーが、SlowcoreではなくSadcoreについて言及しているインタビューは、調べた限り見当たらなかった。

 

1992年: Chrisの脱退と『Barely Real』

そんなNew York Slowcoreの先駆者として大きな評判を得たCodeineは、いよいよライブ活動も本格化させていく。熱狂を持って迎え入れられることもあれば、Sub Pop印のグランジサウンドを期待した観客に失望されることもあるなど反応はさまざまだったそうだが、仲間であるSeamはもちろん、Smashing Pumpkinsのようなメジャー・バンドやJesus Lizardのようなインディーズのヒーローたちとも共演を重ねるようになる。

同年の秋には、元Squirrel BaitでBitch Magnetにも在籍したGastr del SolDavid Grubbsや、オーバリン大学の仲間で後のTortoiseThe Sea and Cakeの活動でも名高いJohn McEntireらによるバンド、Bastroのヨーロッパ・ツアーをサポート。フランス映画『男と女』からPierre Barouhのカバー「A L'Ombre De Nous (In Our Shadow)」を含むスプリットEP『Music By Bastro And Codeine』もリリースしている。


1992年に入るとStephenは、よりプロフェッショナルな作品を作るべくデータ入力の仕事を辞め、音楽活動に専念することを決める。そしてバンドは同年6月、『The White Birch』と名付けられるはずの2ndアルバムを制作するため、ニューヨークのHarold Dessau RecordingスタジオでMike McMackinと共にレコーディングを開始する。

アルバム・タイトルの由来となったは、アメリカのトーナリズム画家、トーマス・デューイングが1899年に描いた同名の絵画。メトロポリタン美術館でこの絵を見たStephenは一眼で魅了され、作品の所有者に対してアルバム・ジャケットへの使用願いも申請している。

 

しかし、ここからが苦しい戦いの始まりだった。スタジオ入り初日には、作業開始の宣言と称してStephenが買ってきたマンゴーを切り分けるも、中身が腐っていて食べられないという奇妙な事件が発生。これがレコーディングの行く末を暗示することになってしまう。

スタジオは機材も豪華で音も良く、メンバーは演奏とサウンドにこだわりながら、すべての録音を完了させる。しかしミキシングの段階で音源を聴き返したStephenは、作品としてリリースすることを拒んでしまったのだ。

 

その理由はボーカル・トラック全体に、Stephen以外には聞き取ることのできない高い周波数のノイズが入っていたこと。そしてStephenが思い描いていたほど、タイトで一貫性のある演奏にはなっていなかったことが挙げられている。

録音に手応えを感じていたJohnとChrisは、彼の決断に大きく落胆。しかし一方のStephenも、自身の目指すサウンドがバンドの手には届かない所にあるのではないかという大きな恐怖に苛まれるようになる。

 

最終的には絵画の使用も許可が下りず、作品は完全にお蔵入りする。しかし同年の冬にはヨーロッパ・ツアーが控えており、それまでに必ずレコードを出さなければならなかったバンドは、Sub Popから費用を前借りし、再びレコーディングに着手。

ボストンやコネチカット州のスタジオで録音した楽曲やポスト・パンクバンド、MX-80 Soundのカバー「Promise Of Love」、さらにはシカゴ大学の音楽室でJohn McEntireによって録音されたDavid Grubbsによる「Wird」のピアノ演奏バージョン「W.」を何とかまとめ上げ、ミニ・アルバム『Barely Real』のリリースにこぎつける。ジャケットにはウィーンにあるベルヴェデーレ宮殿の絵葉書が用いられており、その色合いが「ほとんど現実とは思えない」ことから題名が付けられている。


しかしHarold Dessau Recordingでの録音を破棄したことに対するChrisの落胆は大きく、結果としそれがバンドからの脱退を後押しすることとなった。Chrisは居住地であるボストンで1990年に結成したバンド、Comeのギタリストとしても精力的に活動を続けており、スケジュールおよび地理的な都合から、いずれはバンドを離れなければならないと感じていたそうだ。

また、他のメンバーもそのことは覚悟していたようで、Chrisは同年の夏、CBGBでのライブをもってComeに専念するためCodeineを去ったのであった。

 

苦しい状況が続くものの、幸いなことに『Barely Real』の評価は上々だった。予定されていたヨーロッパ・ツアーもゲスト・ドラマーに、Yo La Tengoとも親交の深いニューヨークのバンド、AntietamのJosh Madellを迎えることで無事に成功を収める。

イギリスではBBCラジオの名物DJ、John Peelの番組にも出演。Joshを加えた当時のラインナップでスタジオ・ライブを披露している。

 

1993~1994年: Doug Scharinの加入と『The White Birch』

その後もJoshとのライブを続けながらドラマーを探していたバンドは1993年の春、『The Village Voice』紙に募集広告を打ち、オーディションを開始する。その中から選ばれたのが新ドラマー、Doug Scharinだった。

コネチカット州ハートフォードで生まれたDougは、家族の影響で幼少の頃から音楽にのめり込み、19歳の時にはボストンへ移り住んでバンド活動を開始。その後、メイン州ポートランドで後にRexへと発展するバンドを結成する。

Rexのメンバーで後にChrisともPullmanを結成するCurtis Harveyとは、89年にボストンで行われたCodeineの初ライブを一緒に目撃しており、そのスローな演奏に自身のバンドも影響を受けたと語っている。

 

こうして新体制が整ったCodeineだったが、実は当初のオーディションでは別のドラマーが選ばれていたそう。しかしうまく機能せず、ルイヴィルでのリハーサルを前に書き置きを残して失踪してしまう。そこでバンドから連絡を受けたDougは、当時住んでいたブルックリンをすぐに出発。アレンジを覚えるため楽曲を聴きながら、10時間かけて夜通し車を運転したと振り返っている。

長引くドラマー探しに疲れ切っていたメンバーにとって、Dougの強力なドラム・プレイは救いとも言えるものだった。リハーサルに手応えを感じたメンバーは同年8月、Mike McMackinと共にシカゴのIdful Studiosに向かい、新体制でのレコーディングを開始する。

録音機材のトラブルに見舞われるもののスタジオの音響は素晴らしく、アルバムの約半分のトラックが録音される。その後、Flaming LipsおよびMazzy Starのツアー・サポートを行いながらリハーサルとアレンジを繰り返し、コネチカット州ミドルタウンのスタジオとブルックリンのMikeのアパートで残りのトラックを録音。一部の曲にはDavid Grubbsのギターも加え、同年12月、ついに待望の2ndアルバムを完成させる。

 

Dougいわく、アルバム制作中のバンド内には常に緊張感が漂っていたそうで、特にアルバム制作に大きなプレッシャーを感じていたStephenはミキシングが完了するまで、ほとんど笑顔を見せなかったという。

しかしレコーディングの結果はStephenにとっても納得のいくものとなり、作業を終えてリラックスした表情を浮かべた彼の顔はそれまでとは、まるで違って見えたそうだ。


とうとう完成した2ndアルバム『The White Birch』は翌1994年にリリースされ、タイトルとジャケットの「白樺」が象徴する圧倒的な世界観と高い完成度で大きな評判を呼んだ。バンドは大規模なツアーを行い、イギリスではBBCJohn Peelセッションにも再び出演。

当時の評価と人気は相当なもので、脱退後にドイツでのライブを見たChrisは「どの公演もソールド・アウトだった」と振り返り、Stephenも「最後の1年半は、音楽だけで生活ができるようになっていた」と語っている。

 

1994年~2012年: 解散、そして『When I See the Sun』と再結成

しかし持ち曲を使い果たしたStephenの精神的苦痛は、日に日に大きくなっていった。新しい曲が書けなくなった彼は、音楽の女神であるミューズが去ったことを悟り、ツアー終了後にバンドの解散を決意する。

Chrisは結成当初にStephenが「バンドが1年半以上続くとは思わない」と言っていたのを覚えており、思い描いていたことをすべてやり尽くしたのだろうと感じたそうだ。結果として5年間に及んだCodeineの活動は、2枚のアルバムと1枚のミニ・アルバムを残し、静かに幕を閉じたのだった。

 

その後、DougはRexやJune Of 44、HiMなどで精力的に音楽活動を展開。ChrisもComeを始め、BedheadのKadane兄弟らと結成したThe New YearやRexのCurtis Harveyらと結成したPullmanといったバンド活動の他、ソロやコラボ、映画音楽の制作、さらにはLemonheadsへの加入やBoredomsの「77 Boadrum」にもJosh Madellと共に参加するなど、多岐にわたる音楽キャリアを築いていく。

一方、Stephenはニューヨーク市の保健局で働き、Johnはマーケティング調査の仕事に就く。そして二人は音楽活動から完全に引退してしまうのだった。

 

以来、再結成のオファーは断り続けていた彼らだったが、解散から18年が経った2012年、Codeineは突然の復活を果たす。きっかけはシカゴのコレクターズ・レーベル、Numero Groupから発売された、全タイトルのリイシューおよび未発表音源を収録したボックス・セット『When I See The Sun』だった。

 

そこには結成前にJohnの部屋で録音されたデモや『Squid + Bigheads Burst Compilation』からの音源なども収録されることとなり、レーベルの熱意に感動したバンドはプロモーションを兼ねた再結成を決断したのである。

その結果、Stephen、John、Chrisの3人は、Codeineからの影響を公言するMogwaiのキュレーションにより、ロンドンで行われたフェスティバル『ATP I'll be your mirror』に出演。その後アメリカとヨーロッパでもライブを行い、オリジナル・ラインナップでの復活が実現したのだった。

なお当時の再結成では、元Gastr Del SolのJim O'Rourkeがキュレーターを務める日本版ATPフェスにも出演が発表されていたが、直前にイベント自体が中止となり、来日は幻に終わっている。

 

しかしStephenとJohnの仕事の都合もあり、この再結成はあくまで期間限定だった。バンドは同年7月に行われた、ニューヨークでの公演を最後に再び活動を終了する。

その後、2013年のレコード・ストア・デイには、93年11月に行われたMazzy Starのツアーから、David Grubbsも参加したシカゴでのライブを収めた『What About The Lonely?』がNumero Groupからリリースされた。

 

2022年~: 『Dessau』と再々結成、そして初来日

こうして完全に活動を終えたかに思えたCodeineだったが、さらに10年の時を経て奇跡の再々結成が実現する。2022年9月、Nemero Groupはバンドが92年に破棄したHarold Dessau Recordingでの音源を30年ぶりに発掘。『Dessau』というタイトルで突如リリースしたのである。

ボーカル・トラックにはMike McMackinの手によるノイズ除去処理がほどこされ、ジャケットにはかつて断念したトーマス・デューイングの絵画『The White Birch』が正式に用いられている。

 

これを受け、Stephen、John、Chrisの3人は、翌2023年2月にロサンゼルスで開催されたNumero Group設立20周年記念イベントに出演。こちらも約20年ぶりの再結成となったオリンピアUnwoundやDougの参加するRex、Chrisとのコラボ作でも知られるGeoff Farina率いるKarate、同じニューヨーク出身のフォーク系スロウコア・バンドであるIdaらと共に演奏を披露した。

やはり当初は期間限定の再結成を想定していたようだが、3人のバンドに対する意欲は思いのほか高く、活動は今に至るまで継続されている。その後もライブを続け、2024年2月にはNumeroよりBedheadとのJoy Divisionのカバー・スプリットEP『Codeine & Bedhead Atmosphere/Disorder』もリリース。Netflixで2017年から公開されているドラマ・シリーズ『13 Reasons Why(13の理由)』のBGMにも使用された94年録音のカバー「Atmosphere」およびBedheadによるカバー「Disorder」が収録されている。

 

そして2024年4月、結成から35年目にして初となる来日ツアーの開催が実現したのである。Stephenは音楽ブログ『Garage Hangover』で紹介されていた「どしゃぶりの雨の中で」を2008年に聴いて以来、日本のソウル・シンガー、和田アキ子の大ファンを公言しているので、おそらく来日の感慨もひとしおのことだろう。

招聘元は前年に、Dougも在籍するJune Of 44の来日ツアーも手掛けたimakinn records。東京、京都、名古屋の3都市で計4公演が予定されている。

 

かつては再結成で演奏することに不安も感じていたというStephen。しかし自分たちの音楽を心から楽しむファンを目の当たりにし、今では恐れることなく完全に演奏を楽しめるようになったそうだ。つまり今回の来日ツアーは、最高の状態でライブを見られる絶好のチャンスと言えるだろう。

ただ今後については明言していないようで、突然活動を休止する可能性もあれば、もしかしたらまさかの新曲を聴かせてくれることだってあるかもしれない。

Chrisの発言によるとStephenが新曲を書く可能性は限りなく低いそうだが、これまで見てきたように意外な展開で良くも悪くもファンを驚かせてきたバンドだ。新たな奇跡を信じ、さらなる活動の充実に期待したい。

 


ということでニューヨーク・スロウコアの雄、Codeineの歩みについて紐解いてみました。書き漏れている情報などもあるかとは思いますが、皆さんにとって少しでも興味深い記事なっていれば幸いです。最初で最後になるかもしれない奇跡の来日ライブ、この目にしっかり焼き付けてこようと思います!

 

 

参考:

Codeine: Frigid Stars LP – Numero Group

Codeine: Dessau – Numero Group

Village Voice interview (June 2012) — Codeine

The Quietus interview (August 2012) — Codeine

An interview with Codeine (who play Bell House TONIGHT)

Codeine: The Welcomed and Unexpected Relapse of “Slowcore” | blurredvisionary

‘Our music didn’t build. We were anti-catharsis’: the glacial pleasures of slowcore | Music | The Guardian

Codeine – Frigid Stars / “Barely Real” EP / The White Birch - UNCUT

THE SELF-TITLED INTERVIEW: James Plotkin vs. Codeine - self-titled

Akiko Wada | Garage Hangover

imakinn records: CODEINE Japan Tour 2024

CODEINE - Whelan's

Interview - Codeine - EXITMUSIK

 

33歳初留学、思い出のトロント音楽体験記: UNSANE w/ BIG|BRAVE / CHILD BITE / ANCRESS @ Hard Luck Bar

UNSANE

 

「やぁ、気分はどうだ?」

 

実際の言葉が「Hi, how are you?」だったか、それとも「Hey, how’s it going?」だったか定かではないが、ステージ脇の物販コーナーを手持ち無沙汰にうろうろしていると、見知らぬ男に突然声をかけられた。頭をフル回転させて「I’m so excited!」となんとか答えると、「もちろん、俺もだ!」と笑顔で返してくれた。

 

滞在スタートから既に3ヵ月。にもかかわらず、こんな簡単なやりとりでさえ、やっとのことなのは無理もない。2017年12月16日、私は日本から遠く離れたカナダの都市、トロントにいた。

33歳にして初めての海外留学。というか、高校の修学旅行でオーストラリアに3日ほど滞在したことを除けば、海外に来ること自体が初めてなのだ。もちろん英語の勉強なんて、大学受験以来。そもそもこの歳まで、まともに英語を喋ろうとしたこともないのである。

 

トロントに着いて間もなく語学学校がスタート。朝から夕方まで授業を受けた後は、クリスチャンのボランティアが教会で開催している英会話カフェや、フードコートなどで開催されているランゲージ・エクスチェンジなんかにも参加するようになった。しかし既にワーキング・ホリデーの年齢制限を超えていた私にとって、現地で英語に触れる手段は限られてくる。

6ヵ月間のスチューデント・ビザ。条件によっては現地で延長することも可能だが、いずれにしても限られた時間を有効に使うには、どうするべきか……。そこで到着から3週間が経った頃、私が自らに課したのが、次のルールだった。

 

週に一度は必ず、ライブハウスやナイトクラブに出かけること

 

趣味である音楽を通じて、現地の文化や言語に触れようという単純な作戦だ。しかし結果としてこのルールは私に、トロントで活動するDJやアーティストたちとの出会いと交流をもたらし、計8ヵ月の海外生活を忘れられない思い出にするのであった。

 

かくして私は一人、見知らぬトロントの街へ夜な夜な繰り出すようになった。初めてのライブ鑑賞は9月末。地元トロント出身のガレージ・ロック・トリオ、METZの3rdアルバム発売記念ライブを皮切りに、10月にはニュージーランドのシンセ・ポップ・バンド、Yumi Zouma。12月初頭にはポスト・ロックの代表的バンド、Mogwai。そして日々開催される地元のクラブイベント……と、順調に現地での音楽体験を重ねていった。

しかし、カナダのあまりにも厳しすぎる冬の寒さのせいか。12月半ばから2月にかけては、海外のバンドがほとんどトロントに来ないという事態に陥ってしまった。事実、毎日のようにライブ情報をチェックしていたにもかかわらず、翌年3月のSnail MailとOughtの共演ライブまで、しばらくバンドのコンサートは見ることができなかったのである。

といっても幸運なことに、この頃にはトロントを拠点とするテクノ、ハウス系のDJたちと知り合うことができたため、目標である週1回以上の音楽イベントへの参加には困ることがなかった。彼らとは今でも、たまにメッセージのやりとりをしている。おかげで帰国まで実際にこのルールを守り切ることができたのは、私の留学生活における大きな自慢となっている。

 

しかし、そんな海外アーティストも敬遠する?冬のカナダを物ともせず、しかも57年ぶりに最低気温記録を更新したという氷点下22℃のトロントへやって来たバンドがいた。ニューヨークの血まみれノイズ・ロック・トリオ、UNSANEである。

1988年、ギター・ボーカルのChris Spencerを中心に結成。以来、MatadorやAmphetamine Reptile、Relapse、IpecacAlternative Tentacles、Southern Lord、そして日本では今はなきZK records……と、一癖も二癖もあるレーベルから長年にわたって作品をリリース。血しぶきのような重金属ノイズと、全作品とも凄惨な事件を予感させる血だらけのジャケット写真で知られるベテラン・ハードコア・バンドだ。ちなみに日本においてはデビュー当初、当時大人気だったJon Spencer Blues Explosionの兄弟がやっているバンドと、まことしやかに紹介されていたが、実は全くのデマだったというのも有名な話だったりする。

来日ツアーも何度か行なっているが、実際にライブを見るのはこれが初めて。学生の頃から聴いていたバンドのライブを、まさか縁もゆかりもないカナダで見ることになろうとは……。

 

 

深夜でも公共のバスが朝まで走っていることもあってか、トロントのライブ開始時間は日本に比べて遅い。オープン時間の夜8時過ぎ、受付で支払いを済まして会場へ入ると、後方のバースペースでは血に飢えたノイズ・ロック・マニアたちがドリンクを飲みながらくつろいでいる。会場の名前は『Hard Luck Bar』。すなわち不運の酒場。残虐ノイズ・ロック・ショーを鑑賞するには、ぴったりのネーミングである。

言葉もろくに通じない、見知らぬ土地の見知らぬ空間。トロントの音楽イベントでいつも感じていたのは、日本では味わうことのできない不思議な高揚感だった。そんな異国の地ならではの緊張と興奮を噛みしめながら、薄暗い会場を一人でうろついていたところ、冒頭のやりとりが起きた。ごく短い会話ではあるが、これだって街へ出たからこそ得ることのできた、現地の英語に触れる貴重な機会なのだ。

 

そうこうする内に、ライブ開始時刻の夜9時を迎えた。いよいよショーが幕を開ける。

Ancress

Ancress

最初にステージに現れは、Ancressという地元のバンド。オープニング・アクトということもあり、まだまだ多くの観客がバー・スペースでお酒を飲みながら見ているため、ボーカルはステージを降りてフロアでシャウト。ブラスト・ビートなども取り入れつつ、メタルコア風のリフをバシバシと決めていく。

ていうかベースを弾いているのは、さっき話しかけてきた奴じゃないか! 演者だったのか……。彼もまた出演者としての緊張と興奮から、私に話しかけてきたのかもしれない。

 

 

Child Bite

Child Bite

続いて現れたのは、デトロイト出身のバンド、Child Bite。どこかブルージーな土臭さを感じさせるワイルドなパンク・サウンドは、長髪、ひげもじゃ、と見るからにむさ苦しいメンバーの見た目と相まってインパクト大。特にボーカリストの乱暴なパフォーマンスには、Jesus Lizardのデビッド・ヨウにも通じる怪しげな魅力があった。

 

 

 

Big ‡ Brave

Big ‡ Brave

続くBIG|BRAVEは、トロントの東に位置するモントリオール出身のトリオで、当時のUNSANEとはレーベル・メイト。同じくSouthern LordのSUN O)))やEARTHを思わせるバカでかい音のヘビーなドローン・ノイズをミニマルに反復させる展開は、今やシカゴの音響派レーベルThrill Jockeyに所属しているのも納得のサウンド。正直、全曲一緒に聞こえないこともないが、呪術的なメロディーを可憐に歌い上げる女性ボーカルの伸びやかな歌声も印象的だった。

 

 

UNSANE

UNSANE

気がつけばフロアにも大勢の人が詰めかけている。誰もが主役の登場を待ち構える中、ついにUNSANEの3人が姿を現した。演奏が始まるや否や、あの痛ましいアートワークそのままの無慈悲なサウンドが炸裂! 断末魔の叫びのようなノイズと地を這うようなグルーヴが、重く鋭い刃物で観客を切りつけ押し潰すかのように轟いた。

この日のライブは8枚目のアルバム『Sterilize』のリリースに伴うツアーであったが、スケボーの失敗シーンばかりを集めたPVでもおなじみ「Scrape」といった往年の人気曲も披露され、長年のファンたちの期待にもしっかり応えるセットリストが約1時間にわたって演奏された。

 

想像どおりの鬼気迫るパフォーマンス。しかし意外だったのは緊張感というよりも、むしろ素直に演奏を楽しむようなリラックスしたムードが感じられた点だ。これもベテランならではの余裕だろうか。

いや、考えてみればUNSANEは元々、エモーショナルにエネルギーを爆発させるタイプのバンドではなく、不適な笑みを浮かべながら殺気だった轟音をクールに鳴らすバンドという感じがする。あの嫌がらせのようなアートワークにどこかユーモアが感じられるのも、そんな悪意を楽しむような独自のスタイルが貫かれているからだろう。

一方の観客たちもモッシュやダイブの嵐などではなく、こちらもリラックスした様相で大いに盛り上がっている。残虐ノイズ・ショーを楽しむ紳士淑女たちの集い。そんな土曜日の夜であった。

 

ライブが終わると、観客たちが物販で購入したポスターを手にサインを求め、ステージの前で列を作っていた。メンバーも先ほどまでの形相とは打って変わり、ファン一人一人に応じ、丁寧にサインを書いている。

私も物販で、血のような色でバンド名があしらわれたTシャツを購入。サインを求めるファンたちの後ろで、メンバーの方へTシャツを掲げながら出口へ向かうと、それに気づいたクリスは無言でうなづき、サムズアップを返してくれたのだった。

 

残虐ノイズ・ショーを楽しむ紳士淑女たち

残虐ノイズ・ショーを楽しむ紳士淑女たち

 

これが2017年にカナダで体験した最後のライブとなった。会場を出てからのことについては、まったく覚えていない。何しろ5年も前のことだ。

後にちょっとした金銭トラブルで揉めることになるフィリピン人ホストファミリーのホームステイ先に帰り、お気に入りだった地ビールのWaterlooかカナディアンウイスキーGibson’s 12 yearでも飲んだんじゃないだろうか。異様に金に汚いホストマザーからは、この日のように夜遅くまで出歩いたり、同じ家の若い住人と酒盛りをしたりしていたせいで、前々から目を付けられていたのだ。

 

そんなトラブルも含め、トロントでの生活は私に数多くの思い出を与えてくれた。まるっきり退屈な私の人生において、あんなにも楽しい時間が訪れるとは、想像もできなかったほどだ。

元はと言えば海外留学自体、単なる思いつきでしかなかった。この先どうやったって楽しくなりそうにもない、さえない毎日を何とかしたい。そんな現実逃避のような気持ちで出かけたトロントだったが、今思い返すと本当に現実とは思えない、夢の中にでもいたような特別な時間となってしまった。

 

あれから5年。未知なるウイルスの発生により、世界の様子は一変した。世界中のクラブやライブハウスが閉鎖され、ミュージシャンはコンサートの中止を余儀なくされた。海外渡航も制限され、私が当時利用した留学エージェントも閉業してしまったらしい。

そうした影響もあってか、UNSANEも2018年のライブを最後に、30年にも及ぶ活動にあっさり終止符を打ってしまう。私もすっかり、さえない毎日に逆戻り。それどころか歳を取った分だけ閉塞感は募り、人生の虚しさは増すばかりだ。

 

そんな中、私のInstagramアカウントに突然のメッセージが届いた。帰国後に投稿した、あの日買ったTシャツの写真を見たイタリア人からで、UNSANEのファンジンを制作中だと言う。当時のライブの情報や思い出をシェアしてほしい、とのことだった。

一度は解散を発表したUNSANEであったが、実は2021年、新たなラインナップで活動を再開。今年9月には、線路に横たわる遺体のジャケ写もショッキングな1stアルバムがリマスタリングされ、31年ぶりに再発されたのだ。

 

私に突然の連絡をくれたStefanoという男が作るファンジンも、10年ぶりの復活だという。そういえば今年はUNSANEの日本盤を出していたZK recordsのコンピレーション・アルバムも30年ぶりに復刻されたし、主催者・痛郎氏も生誕60周年記念ライブを行った。おまけに年末には、ホームステイ先で一緒に酒盛りをした韓国人の友達も日本へ遊びに来ると言っている。

 

当時のことを振り返るには、これ以上ないタイミング。かく言う私自身も、帰国してから3年半勤めた会社を辞めることにした。いつか再び、トロントにいた時のような楽しい時間が訪れるなどという保証はどこにもないが、そのためには私もまた血を流して戦わなければならないからだ。などと言うと聞こえはいいが、年明けから勤め先でリモートワークが廃止され、毎日出社しなければならないのが嫌で辞めるだけなのだが……。

この先どうするかは決まっていない。しかしせっかくの無職だ。時間もできることだし、まだまだ書き尽くせない当時の思い出やトラブルについて、また少しずつ書いていけたらと考えている。

 

 
 
 
 
 
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Memories of Music Experiences in Toronto, My First Study Abroad at Age 33: UNSANE w/ BIG|BRAVE / CHILD BITE / ANCRESS @ Hard Luck Bar

UNSANE

 

 “Hey, how are you doing?"

 

I am unsure if the actual words were "Hi, how are you?" or "Hey, how's it going?” As I was wandering around the merchandising booth by the side of the stage, a guy suddenly spoke to me. With my brain in full gear, I managed to reply in English, "I'm so excited!” Then, he smiled back at me and said, "Of course, I'm so excited too!"

 

Even though 3 months had already passed since my arrival, it was no wonder why even such a simple exchange of conversation was barely possible. On December 16, 2017, I was in Toronto, a Canadian city far from Japan.

At the age of 33, this was my first time studying abroad. Or rather, except for a three-day stay in Australia as a high school excursion, this was the first time I came abroad. Of course, I hadn't studied English since the university entrance exam. I had never seriously tried to speak English until this age.

 

Soon after arriving in Toronto, the language school started. After taking classes from morning to evening, I began to participate in English conversation cafes held by Christian volunteers at several churches and language exchanges held at food courts. However, as I was already over the age limit for a working holiday, my exposure to English in Toronto was limited.

6 months under a student visa. An extension was possible depending on the conditions, but in any case, I had to spend my limited time as effectively as possible. So, around 3 weeks into my stay, I set the following rule for myself.


At least once a week, definitely go out to live music venues or nightclubs


It was a simple strategy to get in touch with the local culture and language through my hobby of music. However, this rule ended up bringing me to meet and interact with DJs and artists in Toronto and made my total 8 months of life in Canada an unforgettable experience.

 

This is how I began to go out alone to the unfamiliar city of Toronto, night after night. My first live music experience was at the end of September: Toronto-based garage rock trio METZ's 3rd album release concert. Then, I successfully enjoyed local music experiences such as concerts by New Zealand synth-pop band Yumi Zouma in October, representative post-rock band Mogwai in early December, and daily parties at local clubs. 

However, perhaps due to Canada's extremely cold and harsh winter, very few international bands came to Toronto from mid-December to February.  In fact, despite checking Songkick's website daily, I didn't see the band in concert for a while until their joint concert with Snail Mail and Ought in March of the following year.

Having said that,  I was, fortunately, able to make friends with several techno and house DJs there at that time, so I had no difficulties attending at least 1 musical event per week. I still keep in touch with them occasionally by text message. Thanks to them, I was actually able to keep this rule until returning to Japan, which is the proudest achievement of my study abroad.

 

But I digress,  in the face of Canadian winter which many foreign artists seem to avoid, a band came to Toronto, where the temperature was 22 degrees below zero, the lowest temperature recorded in 57 years. UNSANE, a bloody noise-rock trio from New York City.
The band was formed in 1988 mainly by guitarist/vocalist Chris Spencer. Since then, they released records on various unique labels such as Matador, Amphetamine Reptile, Relapse, Ipecac, Alternative Tentacles, Southern Lord, and the now-defunct ZK records here in Japan. The veterans of hardcore known for their blood-splattered heavy metal noise and bloody jacket photos that foreshadow gruesome tragedies in all of their albums. Incidentally, the band was initially introduced in Japan as a band run by the brother of Jon Spencer Blues Explosion, but it is a well-known story that this was a completely false rumor.
Although they have toured Japan several times, this was the first time I actually saw their show. I had never expected to see a band, which I had listened to since I was a student, in a country I had no relations with, Canada......

 

 

The start time of live concerts in Toronto is later than in Japan, partly because public buses run even late at night until the morning. When I entered the venue after paying at the door at 8 p.m., the opening time, bloodthirsty noise-rock maniacs were relaxing over drinks at the bar space. The name of the venue is Hard Luck Bar. A perfect name for a brutal noise-rock show.
In a strange place in a strange land, where the language is not well spoken. I always felt a strange sense of elation at venues in Toronto that I could never experience in Japan. As I wandered around enjoying such tension and excitement as a stranger in a foreign country, the exchange described at the beginning of this article occurred. It was a very short conversation, but it was a precious opportunity for me to experience the real English that I could only have had by going out.

 

In the meantime, 9:00 p.m. arrived, and the show was finally about to begin.

Ancress

Ancress

The first to appear on stage was a local band called Ancress. Since this was the opening act, many people were still enjoying drinks at the bar space, so the vocalist got off the stage and shouted on the floor to the band playing metal-core riffs with blast beats. By the way, the bass player was the guy I talked with earlier! I didn't realize he was a performer....... He might have been talking to me with similar nervousness and excitement as I was.

 

 

Child Bite

Child Bite

Next up was Child Bite, a Detroit band whose wild punk sound with a hint of earthy blues had a huge impact, coupled with the long-haired, bearded, and visibly rugged appearance of the members. Especially, the rowdy performance of the vocalist had a dubious charm similar to that of David Yow of Jesus Lizard.

 

 

 

Big ‡ Brave

Big ‡ Brave

The next band BIG|BRAVE is a bassless trio from Montreal, located to the east of Toronto, and a label mate with UNSANE at the time. Their song structure consists of minimally repeated extremely loud and heavy drone noise reminiscent of SUN O))) and EARTH, also from Southern Lord, sounding no wonder that they are now signed to Chicago's experimental post-rock label Thrill Jockey. These kinds of drone bands might tend to sound the same in all songs, to be honest, but I was also impressed by the female vocalist's unconstrained voice, which sang the incantatory melodies in a dainty way.

 

 

UNSANE

UNSANE

The floor was crowded with many people before I realized it. While everyone was waiting for the main act to appear, finally UNSANE showed up. Once the performance began, the merciless sound just like their tragic artwork exploded! Noise like a death cry and a groove that crawled on the ground roared as if it were cutting and crushing the audience with a heavy, sharp blade. This was the tour following their 8th album "Sterilize," but the setlist also included well-known songs from the past, such as "Scrape," famous for its music video featuring skateboarding failures, and it was an hour-long performance that satisfied the expectations of their long-time fans.

 

The performance was intense as expected, but also surprisingly relaxed, as if the band was simply enjoying playing. Is this the kind of leeway that veterans can afford to have? Come to think of it, UNSANE seems not the type of band that explodes their energy emotionally, but rather a band that plays murderous roars in a cool way with an impish smile on their face. The reason why we can find some humor in their nasty artwork is because of their unique style, which seems to enjoy such malice. 
The audience, on the other hand, was also relaxed and very excited without moshing or diving. It was like a party of ladies and gentlemen enjoying a brutal noise show. Such was the lovely Saturday night.

 

After the show, the audience lined up in front of the stage, asking for autographs with posters they had purchased from the merchandise booth. The band members politely responded to those fans one by one, unlike the way they had looked previously in the show. I also bought a T-shirt with the band's name in a color like blood. As I headed toward the exit behind the fans in line, holding up the T-shirt toward the stage, Chris noticed and gave me a silent nod and a thumbs up.

 

残虐ノイズ・ショーを楽しむ紳士淑女たち

Ladies and Gentlemen Enjoying a Brutal Noise Show

 

This was the last show I experienced in 2017. I don't remember anything after I left the venue. It was, after all, five years ago. I guessed I drank my favorite local beer, Waterloo, or Canadian whiskey, Gibson's 12-year, back at my Filipino host family's homestay, where I would later get into a bit of financial trouble. My host mother, who was unusually stingy with money, had been marking me before because I went out late at night, as I did on this day, or drank with the young residents of the same house.

 

Including those troubles, Toronto gave me a lot of memories. I had never imagined that I would have such a good time in my life, which was completely boring. In the first place, studying abroad was just an unthinkable idea. I wanted to do something about my dull life, which seemed to have no chance of becoming fun. I wanted to do something about my dull life, which seemed to have no chance of becoming fun. I went to Toronto with such a feeling of escaping from reality, but when I look back on it now, it really doesn't seem like reality and it became a special time as if I was in a dream.

 

Now, 5 years have passed. The world has been totally changed by a pandemic of an unknown virus. Nightclubs and live music venues around the world were closed and musicians were forced to cancel their concerts. Travel abroad was also restricted, and the agent I used to study abroad at the time seems to have closed its business.
I don't know if these circumstances affected them or not, but UNSANE also ended their 30 years of activity after the last concert in 2018. Also for myself, I am completely back to my dull days. On the contrary, I feel more and more stagnant as I get older, and the vanity of life is only growing.

 

In the midst of all this, I suddenly received a message on my Instagram account. It was from an Italian guy who saw the picture of the T-shirt I bought that day that I posted after returning to Japan, and he said he is editing a fanzine of UNSANE. He said he wanted me to share information and memories of their live shows at that time. And this September, their first album, with a shocking cover photo of a decapitated corpse lying on the railroad tracks, was remastered and reissued after 31 years.

 

The fanzine created by a man named Stefano, who contacted me out of the blue, will also be back after a 10-year absence. Coincidentally this year, a compilation album by ZK records, which was the Japanese distributor of UNSANE, was also reissued for the first time after 30 years, and its organizer called Itaroh also held a gig for his 60th birthday anniversary. In addition, my Korean friend who I used to drink with at my homestay will be visiting Tokyo at the end of the year.

 

It is the perfect time to look back on those days. As for myself, I have decided to quit the company I worked for after returning to Japan. There is no certainty that one day I will be able to enjoy my time like the days in Toronto again, but I need to bleed and struggle to make that happen. It sounds nice to say, but I'm actually quitting just because the company is discontinuing remote work from the new year and I don't want to go to the office every day for a boring job……
I haven't decided what I'm going to do after that. However, since I can be jobless and have more time, I would like to write again little by little about my memories and troubles in Toronto at that time, which I have not written about fully yet.

 

 
 
 
 
 
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何もいいことがなさそうな1年の始まりに: 中原昌也『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』と町田康『くっすん大黒』

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甘えなんかじゃありません。どう考えたって生きづらい世の中です。

目に入ってくるのは救いのない悲しい事件や、あきれるほど幼稚で理不尽な腹立たしいニュースだらけだし、ネットを開いても建設的な議論の入り込む余地などなく、誰もがやり場のない諦めと憤りを持て余しているのを目の当たりにするばかり。恐る恐る試しに何か呟いてみても、いいね。なんて言ってもらえるわけもなく、誰からも求められず、どこにも居場所がないのを確認させられる一方です。

 

気晴らしに本屋なんかへ行ってみても、真面目にコツコツやってる奴なんかバカ、楽してこずるく稼いだ奴が一番偉いんだ!といった趣旨の、信者からの搾取を主な目的とした自己啓発本やたらと平積みされていて、それらの本に書かれているであろう理論からすれば、この情報社会において本なんかちまちま読むのはそもそも時間の無駄なはずなので、わざわざ出版社で働くような人たちがこんな本を作らなきゃならないんだから、そりゃ出版不況も進むよな……と、勝手に出版業界の行く末まで憂うはめになったり。

 

そんなこんなで、あっという間の2021年でしたが、よくよく振り返ってみると何一ついいことがありませんでした。

真っ当に生きようとしているつもりでも何の手応えもなければ成果もなく、実際にはただ時間が過ぎただけでロクな目に遭いません。この前なんか乗りたくもない通勤電車で思わずフラついたら、後ろにいたパワハラ気質丸出しなスーツ姿の中年男性に頭を小突かれて、恐ろしい目で睨みつけられましたよ。

 

あぁ、つくづく生きづらい世の中です。生きやすいなんて言える人がいるとしたら、きっとそれは、こずるく稼ぐのが上手なだけで他人のことなど考えない無神経な人間か、電車で人の頭を平気で小突ける危険な人物の可能性があるので注意した方がいいでしょう。

こんな閉塞感と無力さばかり突きつけられる現実を、それでも生き抜かなければならないなんて……。どうせ今年もいいことなんてないんだろうなと思うと、やりきれない気持ちにもなりますが、もはや感傷は敵です。しぶとく生き延びようと思えば、この笑えない現実を無理やりにでも笑い飛ばすしかありません。そう、自分を、全てを笑い飛ばす、強烈なユーモアの力が必要なのです。

 

中原昌也またの名を暴力温泉芸者もしくはヘア・スタイリスティックス一部にのみ絶大な知名度を誇るノイズミュージシャンが原稿料ほしさに無理やり書いたものの、結局は金にならず文学界を憎むこととなった1998年刊行の処女作品集『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』には、それが詰まっています。というか、それしか詰まっていません。

本作に納められた数ページから20ページ足らずの短編12篇の根底を貫いているのは、世の中への悪意をむき出しにした攻撃的なユーモアです。単なる思いつきとしか思えない、まるで悪夢のような妄想 & 読者への嫌がらせとしか思えない、ひたすらに悪臭を放つ不気味な描写の連続。そして飛躍しすぎた発想が生む驚きの展開は、この世の全てを死んだ目で嘲笑っているかのようです。

 


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私が本品を初めて読んだのは高校生の時。読書自体をあまり面白いと思っていなかった私にとっては、それまでにない新鮮な読書体験で、あまりのくだらなさに感心しながらページをめくったのを覚えています。

中でも、何となく書いた一文が連想ゲーム的に次の展開を生み出していくような「あのつとむが死んだ」、内容と全く関係のない投げやりな題名からして文学構造への自由なアプローチが感じられる「物語終了ののち、全員病死」は傑作! はっきり言って、ほとんどギャグ漫画です。

 

私が本作を読んで真っ先に思い出したのは、小学生時代に竹書房の文庫版で初めて読んだ『天才バカボン』の衝撃でした。言わずと知れた赤塚不二夫の名作ですが、単に昔の古いギャグ漫画というイメージしか持っていない方も多いかもしれません。私自身がそうでした。

しかし実際に読んでみると、その印象は一変します。確かに連載初期こそ愉快で牧歌的な古典ギャグといった趣であるものの、巻を追うごとに意味のないギャグと悪ノリだけがエスカレート。突然、劇画調で描かれたエピソードが掲載されたかと思えば、右手が折れたため左手で書いたという回が登場したり、さらにはコマの順番をバラバラに入れ替える、主要キャラが全く登場しない、意味もなく作者が山田一郎に改名するなど、ギャグ漫画というよりは漫画の仕組みを対象とした前衛的実験作品へと変貌を遂げ、現代にも通じるその大胆な先進性に、小学生ながら大きく驚かされました。

どこまで発想を飛躍させられるか。赤塚作品最大の魅力である悪ふざけの追求は、限界まで発想を飛躍させることによって、世の中を構成している常識(とされている考え方)や意味への盲信を乗り越え、逸脱させようとする欲求から来ていたのではないかと思います。

 

そんな赤塚ギャグと同じ衝撃を文学という形で与えたくれたのが、この『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』です。「文学」と言われてしまうと、作品には必ず何らかの深い意味や崇高なメッセージが込められているはずで、無意味なギャグの入る隙間などはない、と無意識に思い込んでしまっている人も少なくないような気がします。しかし例えば、あのいかにも意味ありげな純文学作家というイメージの太宰治にさえ、意外とギャグで書いていた部分はあるんじゃないかと思うのです。

遺作である「斜陽」には、庭でお月見をしていると母親が茂みの中に入っていったので、何をしているのかと思ったら野ションだったという場面があるのですが、個人的に好きな作品ではないものの、これには思わず笑ってしまいました。主人公一家の母親の持つ天真爛漫な上品さを表現するための描写ではありますが、これはもう笑わせようと思って書いたと思います。

 

ただ、本作『マリ&フィフィ〜』のユーモアは、それよりももっと切実なものであるような気がしてなりません。全編に漂うネガティブなエネルギーと悪意に満ちた文章から感じられるのは、世の中に対する嫌悪感であり、憤りであり、諦めの念であったりします。しかし、こうした露悪的とも悪趣味とも取られかねない感情の提示、何なら相手を不快にさせてやろうという表現の根本にあるものは、自らをも含めた世界の醜悪さをごまかすことなく見つめる誠実さであり、そして一見対極に思えるかもしれませんが人を笑わせるのと同じ、他者の心に働きかけようとするサービス精神のようなものではないかと思うのです。

相手に都合の良いことだけを言っていれば、波風は立たないかもしれませんが何かが変わる可能性もありません。とは言え、欺瞞や無関心を良しとせず、実直な思いをそのままぶつけたところで、簡単には受け入れてもらえないのもまた事実。それ故、そうした誠実さやサービス精神のようなものは生活の中ですり減り、徐々に失われていくのが通常です。そんなことにわざわざ心を砕いても、世間からは評価されるどころか無視をされたり、誤解を受けたり、嫌な顔をされたりと、やるだけ無駄というか、損をした気持ちになるだけだからです。

こうした世間との埋めがたい溝に絶望を感じながらも、しかしそれでもなお、どうにもならない状況を笑い飛ばすことで他者の気持ちに働きかけようとしているのが、本作にあるユーモアの本質なのではないかと思います。笑えない現実をおちょくるために悪態をつく。その一貫した態度には、単なる露悪趣味の一言では片付けることのできない、切実さを感じずにはいられないのです。

 

 

この作品と同様、力強いユーモアによって新鮮な読書体験をもたらしてくれた作品が、もう一つあります。町田康が1997年に刊行した処女単行本『くっすん大黒』です。

特に、表題作と共に収録された「河原のアパラ」。レジの前ではフォーク並びをした方が効率的だ、と主張自体は真っ当な訴えをフライドチキン店で繰り広げるも、変人扱いしかされず奇行に走るプロローグや、主人公の働くうどん屋に連れてこられた猿が、唐突に釜茹でになってしまうというシーンの突拍子も無さは鮮烈で、こちらもやはり高校生の頃に読んだのですが、現在に至るまでずっと記憶の片隅にこびり付いていました。

 

町田康いえば、かつては関西NO WAVEと呼ばれる音楽シーンを牽引したパンクロックバンドINU町田町蔵として、現在は汝、我が民に非ズのボーカリストとしても活動するミュージシャン。世代こそ違えど、奇しくも同じくアンダーグラウンド音楽を出自に持つということもあってか、町田康本人も中原昌也への共感を口にしており、中原の作家デビュー20周年を記念して発刊された『虐殺ソングブックremix』では、中原の作品「待望の短編は忘却の彼方に」の再構築小説を寄稿しています。

 


www.youtube.com

 

その根底に切実なユーモアという共通性を持つ両作品ですが、町田康大阪弁しゃべくりのようなリズム感で、どこか呑気さや豪快さを感じさせるのに対し、中原昌也は何の思い入れもないであろう文学らしからぬ陳腐な常套句をサンプリングやコラージュのように並べることで、全く心のこもっていない無機質な空気感を生み出しているのも印象的です。その違いはまさしく、両者の出自である音楽活動のスタイルとも一致。それぞれの音楽性が文体にも反映されることで独自の作風を築き上げている点も興味深く、両作家のデビュー作であるこれらの作品が、文学界に大きなインパクトを残したことにも肯けます。

事実、町田康2000年に刊行された次作『きれぎれ』で第123回芥川賞を受賞し、作家としての地位を確立。一方の中原昌也はこの作品以降、全く金にならない、文学界はクソだ、本当に書きたくない、と愚痴りまくりながらも作品を発表。2001年の『あらゆる場所に花束が……』で第14回三島由紀夫賞を受賞すると、2006年には『名もなき孤児たちの墓』が第28回野間文芸新人賞を獲得、「点滅……」が第135回芥川賞の候補になるなど、特異な存在感で少なからぬ評価を受けています。

 

こうした文学界における評価が、かえって何らかの意味やメッセージを持っていなければならないという固定観念を生んでしまうのかもしれませんが、しかし小説は他人を出し抜くために根拠のない自己肯定感を高めたり、こずるく稼いだりするのに役立つ(実際にはあまり役に立たないと思いますが)自己啓発本などではありません。意味があろうがなかろうが、もっと単純にそのくだらなさを多くの人が楽しんでくれたら、この生きづらい世の中も少しは生きやすくなるのではないかと思います。

もしもあなたが、この笑えない現実に埋没し、生きづらい世の中の一部となっていくことに少しでも疑問や焦りを感じるのであれば、ぜひ両作品を読んでみてほしいと思います。もしかしたら1ミリも笑えないかもしれません。でも、こんなふざけた本があるなんて、しかも文学界で評価を受けているなんて、そんな事実を笑ってくれたらと思います。

 

 

長々とそれらしい感想を述べてきましたが、実を言うと私は普段それほど本を読みません。本の感想を書くのも、おそらく中学の宿題以来。それではなぜ唐突にこんな文章を書いたのかというと、ライター仕事のプラスにならないかと思い夏から受講しているコピーライティングの講座で、好きな本を一冊紹介するという課題があり、両作品を約20年ぶりに読み返したため。実際に提出したのは300字ほどの短い文章でしたが、それなりに頑張って書いたので、文章の練習も兼ねて改めて書き直してみた次第です。

 

さて、2021年は人生に対する著しいモチベーションの低下により、当ブログの更新も完全に滞ってしまいましたが、2022年は覚悟を決めて、文章を書くことにもっと真剣に取り組んでみようと思っています。誰が読むんだ、こんなブログと思わないわけでもありませんが、読んでくださった方には感謝を申し上げますとともに、素敵な1年が訪れますことを勝手に祈らせていただきます。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 

参考: 

WEB本の雑誌「作家の読書道:第60回 中原 昌也さん」

WEB本の雑誌「作家の読書道:第52回 町田 康さん

 

LOST TAPE 1999 FROM HELL
LOST TAPE 1999 FROM HELL Amazon

 

Slowcore for a Season of Sadness: Codeine "Broken-Hearted Wine”

Codeine_Frigid Stars_inner

 

In spring time, when it's a season of meeting and parting in Japan (because graduation and entrance ceremonies take place in March and April). The cherry blossoms have fallen while I have been confined to the house every day, and personally, I lost the person close to me suddenly, which makes the season even sadder this year.

 

There are as many songs about the sadness of spring as there are cherry blossom petals especially here in Japan, but I think there are also many people who have a twisted sensibility that doesn't allow them to relate to such songs. 

I'm one of those people. When I hear "beautiful memories or partings” sung unashamedly and sadly, I feel uncomfortable as if it were the world where there's no place to be or I don't exist in the first place.

 

Even though I'm such a cynic, there’s one song I think of at night during this season every year:

"Broken-Hearted Wine" by Codeine.

 

In spring time

When you haven't got a dime

Yeah, in spring time

And life seems a crime

Come on over

Cry on my shoulder, and drink

Broken-hearted wine

Tastes fine

In the spring time

Broken-hearted wine

Tastes fine

 

So you finally see her (his) face at last, and the pain will never pass

You thought she (he) was the only girl (boy) in the whole wide world for you

You can come on over

Cry on my shoulder, and drink

Broken-hearted wine

Tastes fine

In the spring time

Broken-hearted wine

Tastes fine

 

So you don't know what to do

There's just one cure for you

 

In spring time

When there isn't any reason

Or rhyme

To thinkin'

That you'll be mine

So come on over

Cry on my shoulder, and drink

Broken-hearted wine

Tastes fine

In the spring time

Broken-hearted wine

Tastes fine

In the spring time

 

open.spotify.com

 

In the final part of the '80s classic youth comics "Shonan Bakusozoku” by Satoshi Yoshida, there is an episode called "I Love You! Three Years". The story is like this. 

Saeko Iimura (a.k.a. Meshimura-san derived from Chinese reading of her family name), who is the class president, has been secretly in love for three years with the main character Eguchi, the leader of the motorcycle gang. However, she has known Eguchi has a crush on another girl, and she's wondering if she should confess her love to him before graduation. Then she consults with a boy who is another member of the same team as Eguchi…… 

This is a refreshing story about heartbreak and rugged compassion for a friend that transcends gender.

Satoshi Yoshida "Shonan Bakusozoku"

Satoshi Yoshida "Shonan Bakusozoku"

 

Such tenderness is sung in this song with a dark and miserable worldview without any refreshment. 

The melody is muttered curtly only with the simple electric guitar as an accompaniment. This totally unadorned song even with no bass and drums may sound like low-key and boring by hearing once. 

However, I think this song is gently warm music that slowly sinks into our twisted sensibilities after a while. Just like drinking a fermented alcoholic drink on a still slightly chilly spring night.

 

A rock band called Codeine, which takes its name from an opioid painkiller used in cough syrup, was formed by Stephen Immerwahr (bass/vocals), John Engle (guitar), and Chris Brokaw (drums) in New York City in 1989. 

Their music played with an extremely slow tempo, depressing lyrics, and simple stripped-down arrangements are described as pioneering a genre called "slowcore" or "sadcore".

 

Same as their musicality which gave us the impression of reticence like silently staring at somewhere alone, there are not many works they have left behind.

They released their 1st album “Frigid Stars” on the German label Glitterhouse Records in 1990, and that led them to sign with Sub Pop Records, based in Seattle, which is an iconic independent label of the era. After releasing an EP "Barely Real" in 1992, Chris, on drums, left the band in order to occupy himself as a guitarist of his other band called Come, which released the bluesy songs on Sub Pop and the also famous indie label Matador Records. 

Then Doug Scharin officially joined the band after Josh Madell of Antietam supported as a temporary drummer for a tour. Their 2nd album "The White Birch" was released in 1994, but soon afterward they were ended. After Codeine, Doug played in Rex, June of 44, HiM, and so on. Chris also continues to work tirelessly as a member of several bands besides Come, like The New Year, Pullman, and Consonant, also a solo artist, and a collaborator of many musicians including Thurston Moor of Sonic Youth. However, having exhausted their inspiration for the band, both Stephen and John disappeared from the music scene once and for all.

 

Speaking of the USA in the early ’90s when they were active, it was the time Nirvana, also from Sub Pop, had a record-breaking breakthrough, and the Seattle-based indie rock known as "Grunge" became a huge movement. Underground bands were catapulted into the limelight, and they also dominated the mainstream music scene. 

In the shadows of such an uproar, who had been quietly continuing their activities at their own pace were the bands categorized as slowcore/sadcore. In addition to Codeine, bands like Red House Painters from San Francisco, Bedhead from Texas, and Low from Minnesota began to emerge simultaneously in each place of the US and created alternative art forms of rock music in a different way than the grunge explosion.

 

Even though Codeine is considered to be a pioneer of slowcore/sadcore, they seem to have somewhat different characteristics to me. Their music is not like any other bands such as Red Hows Painters which quietly played the aesthetic songs, Bedhead which played subdued and gentle melodies in a bland tone, nor Low which describes a solemn soundscape with a tense acoustical treatment. 

Above all, there is almost no folky lyricism and sentimentality that is common to other bands. Rather, their bleak music, which is like slapping down the inescapable intense emotion hidden inside and thrusting it away vacuously, sounds as if trying to deny those sentimentalisms.

 

However, considering slowcore/sadcore was named after punk rock, which turned rock ’n’ roll into a faster, shorter, and simpler style, and then hardcore punk which pursued its speed and loudness, Codeine is the band most embodied the name of this genre. 

The stroke of solid electric guitar sounds peculiar to the Fender Telecaster, the drums and bass which is kept to the necessary minimum, and the vocal as if muttering bluntly. I can't help feeling that the ensemble, consisted of each of those sounds played slowly and carefully using the contrast between stillness and motion, paradoxically highlights the inherent sharpness and coldness of punk rock. It can be said that their music is truly worthy of the name "slow and sad hardcore".

 

Most of their songs evoke the severe cold of a freezing winter, as symbolized by their album titles and cover arts of "Frigid Stars" and "The White Birch". 

Also, most of the lyrics sung in those songs imply bleak motifs such as loss, regret, or isolation, and the resignation to grievous and helpless circumstances is dispassionately described in abstract words.

 

In those works, this "Broken-Hearted Wine" is almost the only one melodious song that reminds the warmth of spring. It's like the sentimentalism that should have been denied couldn't be suppressed, and has leaked out from the inside. However, that's why the music has an earnestness that resonates with our twisted sensibilities. 

The song appeared on the B-side of the original single "Realize" released in 1992. It seems to have been a live staple, the live version can also be listened to in "The John Peel Sub Pop Sessions 1989-1993", which is a compilation of live studio performances by Sub Pop bands for the late John Peel's show on BBC Radio. 

By the way, several parts of the lyrics mentioned at the beginning of this article are in parentheses: such as "her (his)" and "boy (girl)". That's because the genders of the characters being spoken to are interchanged in the live version. My English skill doesn't allow me to understand the fine nuances and correct intentions, but maybe it was intended to emphasize the cross-gender friendship and compassion.

 

The lyrics are also unusual for them, a very common theme heartbreak is described in a specific story. And yet, it never feels uncomfortable, I think it's because this song is focusing on the other person's sadness, never showing off own loneliness narcissistically in an exaggerated way. 

I remember Japanese Enka singer Aki Yashiro once said on TV, "Songs are for the people who listen to them, so I don't put my own emotions into the lyrics when I sing." This was a comment about her own artisan stance as a singer, comparing to some singers who say cheesy things like "I never sing unless the lyrics can be empathized with." I feel that Codeine's sound which is sad but never mawkish has something common to her graciousness. 

Come to think of it, the sad lyrics and slow tempo of Enka are similar to slowcore/sadcore on that point...… In fact, Stephen said in later interviews that "I always listening to a Japanese singer Wada Akiko." So I want fans of Aki Yashiro and Akiko Wada to try listening to this Codeine's song as well hehe.

 

Slowcore/sadcore is just a minor genre, unlike grunge which has made its mark on music history. In spite of that, Codeine's unique sound earned high praise and a strong following that big names such as Peter Buck of REM and Greg Sage of The Wipers told to be fans. In particular, they have had no small influence on the post-hardcore bands they were close to at the time, such as Bastro, Rodan, and Bitch Magnet, as well as the Chicago area post-rock bands that grew out of them, such as Tortoise and Gastr Del Sol

In fact, Tara Jane O'Neil, a talented woman also known as a painter, covered "Broken-Hearted Wine" in Retsin, the duo she formed after Rodan broke up. Also, the Boston-based chaotic hardcore band CAVE IN took their name from Codeine’s song "Cave-In". In addition, a band from Norway named White Birch also emerged among the later slowcore followers.

Broken Hearted Wine

Broken Hearted Wine

  • provided courtesy of iTunes

 

The most symbolic thing is respect from Mogwai, a leading UK post-rock band. They have professed their musical influence from Codeine and also released the original drummer Chris' solo album "Incredible Love" on their own label Rock Action. 

Furthermore, In 2012, Mogwai offered Codeine to perform at ATP I'll be your mirror, a rock festival Mogwai curated. Even though Codeine had turned down those offers until then, but at the same time, Chicago-based collector's label Numero Group decided to release a box set including all of Codeine's reissues and unreleased material, called "When I See the Sun"!

However, their reunion was only limited since Stephen and John have already left the music industry and work in other fields. They played less than 20 live shows in the US and EU tour. Also here in Japan, they were scheduled to play at ATP festival curated by Jim O'Rourke, formerly of Gastr Del Sol, but the event itself was canceled……. By the last show in New York City where they formed the band, they have once again brought the curtain down on their activities.

 

Codeine was not a commercially successful band, and may not be listed in the rock music textbooks. Even so, I believe that their unique music, which is quietly standing outside the trends of the music scene and its associated context, is still worth listening to, even regardless of any historical significance or meaning.

 

Lastly, I'd like to share their music clip, which was uploaded on youtube with the members' permission. Please be sure to enjoy it while paying attention to a sticker on the base that is reflected in the last scene. You would feel a sense of familiarity with them.

 

“Loss Leader" from their 2nd/final album “The White Birch”

www.youtube.com

 

I was actually planning to start this blog in April, but May was over while I was dillydallying. On the contrary, it's already July now that I’ve finally finished English translation. As a result, the season no longer matches what I wrote…… omg

However, even over such a slack motherfucker like me, the punk rock which Codeine played slowly casts a sad warmth with an unchanging vividness in the days passing by so fast.

 

 

Addendum:

In September 2022, Numero Group suddenly released "Dessau," a collection of previously unreleased material recorded at Harold Dessau Recording in June 1992, just before Chris left the band, but discarded and put on hold due to sound problems. Many of the songs were later re-recorded, but the originals were finally released to the world for the first time after a lapse of 30 years.

codeineband.bandcamp.com

Numero Group also announced that the label's 20th anniversary will be celebrated in February 2023 in Los Angeles, and Codeine will perform along with Doug's band Rex and the Olympian art-rock band Unwound, Stephen, John, and Chris reunited after 11 years.

According to Stephen, this reunion will also be limited, but unexpectedly, the other members have expressed a desire to be active, and live shows have been going on for longer than expected. Possibly, one day we will be able to listen to a new work.

 

And what a surprise!  In April 2024, 35 years after their formation, their first Japan tour is coming to be realized! It has been announced that they will perform 4 shows in 3 cities, Tokyo, Kyoto, and Nagoya.

I have never thought this day would come...... I am now looking forward to enjoying plenty of matured broken-hearted wine, in the spring time.

www.instagram.com

 

 

References:

L.A. RECORD「CODEINE: KIND OF CAT FRIENDLY

blurredvisionary「Codeine: The Welcomed and Unexpected Relapse of “Slowcore”」

DAVID RAT'S BLOG: "RAT BITES"「Doug Scharin, Codeine, and The White Birch interview」

Brooklyn Vegan「An interview with Codeine (who play Bell House TONIGHT)」

SOUL KITCHEN「[1990-2020] DIX CACHETS DE CODEINE

self-titled「THE SELF-TITLED INTERVIEW: James Plotkin vs. Codeine」

Ptchfork「Codeine: Frigid Stars/Barely Real EP/The White Birch Album Review」

The New York Times「Grunge’s Estranged, Desolate Cousins」

Brooklyn Vegan「Codeine talk reunion, unearthed 'Dessau' LP, their legacy, black metal & more in new interview」

 

 

Broken-Hearted Wine

Broken-Hearted Wine

  • provided courtesy of iTunes
サブ・ポップ・BBCセッションズ

サブ・ポップ・BBCセッションズ

  • アーティスト:オムニバス
  • 発売日: 1995/04/25
  • メディア: CD
 

 

悲しみの季節にスロウコアを: Codeine「Broken-Hearted Wine」

Codeine_Frigid Stars_inner


出会い別れの季節、春。今年は家に閉じこもっている間に桜も散り、個人的には身近な人が突然亡くなったこともあって、何だかいっそう寂しい季節となってしまいました。

 

春の切なさをモチーフにした曲は、特にここ日本では星の数ほど、もとい桜の花びらの数ほどあります。しかしそうした曲にいまいち感情移入できない捻くれた感性の持ち主というのも、世の中には意外と多いのではないでしょうか。

かく言う自分もその一人。美しい思い出や切ない別れの歌を臆面もなく思い入れたっぷりに歌い上げられてしまうと、まるで自分の居場所がないような居心地の悪さや、そもそも自分が存在しない世界のことのようなよそよそしさを感じてしまいます。

 

しかしそんな捻くれ者の私にも、毎年この季節、夜になると必ず思い出す曲があります。

 

Codeine「Broken-Hearted Wine」

 

春に 何一つ得ることのできなかった季節に

春に 人生が犯罪のように思える季節に

おいで 僕の背中で泣けばいい

そして 悲しみのワインを飲めばいい

芳醇な味わいをもたらす 春に

悲しみのワイン 芳醇な味わい

 

ようやく君は最後に彼女(彼)の顔を見る

そして痛みが消え去ることは決してないだろう

君は彼女(彼)をこの世で唯一の女(男)だと思っていたんだ

こっちにおいで 僕の背中で泣けばいい

そして 悲しみのワインを飲めばいい

芳醇な味わいをもたらす 春に

悲しみのワイン 芳醇な味わい

 

どうしていいのか君は分からない 

唯一の慰めがあるとすれば

 

春に 君が僕のものになるなんて 思うわけも理由もない

だからおいで 僕の背中で泣けばいい

そして 悲しみのワインを飲めばいい

芳醇な味わいをもたらす 春に

悲しみのワイン 芳醇な味わい

 

open.spotify.com

 

吉田聡による傑作青春マンガ『湘南爆走族』の最終回間近のエピソードに『I Love You! 三年間』という話があります。

暴走族のリーダーである主人公・江口に3年間、密かに想いを寄せていた学級委員長・飯村冴子(通称・メシムラさん)。彼女は江口に好きな人がいることを知っていて、卒業前にその気持ちを打ち明けるかどうか、江口と同じチームのメンバー・桜井に相談をする……。

失恋をモチーフに、性別を超えた友人への無骨な思いやりを描いた爽やかなストーリーです。

 

この曲ではそんな優しさが、爽やかさゼロ!の暗く惨めな世界観で歌われています。

シンプルなエレキギターだけをバックに、素っ気なく呟かれるメロディー。ドラムもベースも入っていない、まるで飾り気のないこの曲は、一聴しただけでは地味で退屈に思えるかもしれません。

しかし聴けば聴くほど、捻くれた感性に沁み込んでくるような、じんわりとした温かさのある音楽だと思います。それはまるで、まだ少し肌寒い春の夜に飲む醸造酒のようにも感じられます。

 

咳止めシロップに使用されるアヘン由来の鎮痛剤をその名に冠したロックバンドCodeineは、1989年にStephen Immerwahr(ベース/ボーカル)、John Engle (ギター)、Chris Brokaw(ドラム)の3人によってニューヨークで結成されました。

極端に遅いテンポと物憂げな歌詞、装飾を削ぎ落とした簡素なアレンジによって奏でられた彼らの音楽は、「Slowcore(スロウコア)」もしくは「Sadcore(サッドコア)」というジャンルの先駆けとして語られています。

 

一人きり、黙ってどこか一点を見つめているような寡黙さを感じさせるその音楽性と同様、彼らが残した作品は決して多くありません。

1stアルバム『Frigid Stars』を1990年にドイツのレーベルGlitterhouseからリリースしたのをきっかけに、時代を象徴するシアトルのインディーレーベルSub Popと契約。92年にEP『Barely Real』を発表後、ドラムのChrisが、同じく名門インディーレーベルMatadorのブルージーなバンドCome(こちらではギターを担当)に専念するため脱退。AntietamのドラマーJosh Madellによるツアーサポートを経て、Doug Scharinが正式に加入。94年に2ndアルバム『The White Birch』を発表するも、ほどなくして活動を終了します。

その後、DougはRexやJune of 44、HiMなどで活躍。ChrisもComeの他、The New YearやPullman、Consonantといったバンドやソロ、Sonic YouthThurston Mooreをはじめ多くのアーティストとコラボレーションを行うなど、精力的に活動を続けています。しかしバンドに対するインスピレーションを使い果たしたStephenとJohnは、すっぱりと音楽の世界から去ってしまいました。

 

彼らが活動した90年代前半のアメリカと言えば、同じSub Pop出身のNIRVANAが記録的な大ブレイクを果たし、シアトルを中心とした『Grunge(グランジ)』と呼ばれるインディー・ロックが一大ムーブメントとなった時代。アンダーグラウンドなバンドたちが一躍脚光を浴び、音楽シーンのメインストリームをも大きく塗り替えていきました。

そうした喧噪の陰で、ひっそりとマイペースな活動を続けていたのが、スロウコア/サッドコアにカテゴライズされたバンドたちです。Codeineの他にもサンフランシスコのRed House PaintersやテキサスのBedhead、ミネソタのLowといったバンドが各地で同時多発的に活動を始め、グランジの大爆発とはまた違った方法で、ロックにおけるオルタナティヴな表現を生み出していきました。

 

Codeineはそうしたサッドコア/スロウコアの先駆者とされながらも、どこか異質な存在のように思えます。彼らの音楽はRed House Paintersのように耽美なメロディーを静かに聴かせるのでもなく、Bedheadのように素朴な歌を淡々と奏でるのでもなく、またLowのように緊張感のある音響的アプローチで荘厳な世界観を描くのとも違います。

何より他のバンドに共通するフォーキーな叙情性や感傷性が、ほとんど見受けられません。内に秘めたやり場のない激しさを叩き付けるかのような、どこか突き放したように空虚に響く、そのささくれ立ったサウンドは、むしろそうしたセンチメンタリズムを否定しようとしているようにさえ聞こえます。

 

しかしスロウコア/サッドコアが、ロックンロールを速く短くシンプルに演奏したパンクロック、そしてそのスピードと激しさを追求したハードコアパンクに由来して名付けられていることを考えれば、彼らこそがそのジャンル名をもっとも体現したバンドと言えるのではないでしょうか。

Fenderテレキャスター特有の金属的なエレキギターストローク。必要最低限まで手数を省いたドラムとベース。ぶっきらぼうに呟やくようなボーカル。それら一音一音が、静と動の対比を使い分けながら丁寧にゆっくりと鳴らされるアンサンブルからは、パンクロックが本質的に持っている鋭さや冷めた感覚が、逆説的に浮き彫りになってくる気がしてなりません。正に「遅くて悲しいハードコア」の名に相応しい音楽と言えます。

 

彼らの楽曲は『極寒の星々(Frigid Stars)』や『白樺の木(The White Birch)』というアルバムのタイトルやジャケットに象徴されるように、凍てつくような冬の厳しい寒さをイメージさせるものがほとんどです。

そこで歌われる歌詞も喪失や後悔、孤絶など、荒涼としたテーマを暗示するものが大半を占め、どうすることもできない悲痛な状況への諦めが、抽象的な言葉で冷徹に描かれます。

 

そうした中、ほぼ唯一と言える春の暖かさを感じさせるメロディアスな1曲が、この「Broken-Hearted Wine」です。それはまるで否定したはずの叙情性が、それでも抑えきれずに内側から漏れ出てしまったような、だからこそ捻くれ者の感性にも響く切実さを持った音楽だと思います。

この曲は92年にリリースされたオリジナルシングル『Realize』のB面に収録されました。ライブでも定番だったようで、BBCラジオの名物番組『Peel Sessions』におけるSub Pop所属バンドのスタジオライブを集めたコンピレーション『The John Peel Sub Pop Sessions 1989-1993』で、その音源を聴くことも可能です。

ちなみに冒頭に書いた和訳(意訳)の一部が「彼(彼女)」、「女(男)」とかっこ付きになっているのは、ライブバージョンでは語りかける相手の性別が入れ変わっているため。自分の英語力では細かいニュアンスや意図は分かりませんが、もしかしたら性別を超えた友情や思いやりを強調したかったのかもしれません。

 

歌詞についても彼らの曲には珍しく、失恋というごくありふれたテーマが具体的なストーリー性を伴って歌われています。しかしそこに、よそよそしさや居心地の悪さを感じないのは、自らの寂しさを殊更にありがたがってナルシスティックに歌うのではなく、あくまで相手の悲しみにフォーカスしているからではないでしょうか。

以前、テレビで八代亜紀が「歌は聴く人のものだから、歌詞には決して自分の感情を込めて歌わない」と言っていたのを思い出します。これは自らの職人的とも言えるスタンスを、よくありがちな「自分が共感できる歌詞でなければ歌わない」というタイプの歌手と比較しての発言でしたが、悲しい音楽でありながら決して湿っぽくならないCodeineのサウンドは、その潔さに通じるものがある気がします。

よくよく考えると、演歌や歌謡曲の悲しい歌詞とスローなテンポは、それだけを見ればスロウコア/サッドコアと共通するものだったり……。実際にStephenは後のインタビューで「いつも和田アキ子を聴いている」とも発言! ぜひ八代亜紀和田アキ子のファンにもCodeineを聴いてみてほしいところです(笑)。

 

スロウコア/サッドコアは、音楽史にその名を刻むグランジとは違い、あくまでマニアックなジャンルに過ぎません。しかしCodeineの特異な音楽性は、REMのPeter BuckやThe WipersのGreg Sageといった大御所もファンを公言するなど、高い評価と根強い人気を獲得しました。

中でも当時親交の深かったBastroやRodan、Bitch Magnetといったポストハードコアバンド、さらにはそこから発展したTortoiseGastr Del Solといったシカゴ界隈のポストロックバンドたちには、少なからぬ影響を与えています。事実、画家としても知られる才女Tara Jane O’NeilがRodan解散後に結成したRetsinでは「Broken-Hearted Wine」をカバー。またボストン出身のカオティックハードコアバンドCAVE INは、Codeineの楽曲「Cave-In」からバンド名を採っています。さらに後のスロウコアフォロワーには、ノルウェイ出身のWhite Birchというバンドも登場しました。

Broken Hearted Wine

Broken Hearted Wine

  • provided courtesy of iTunes

 

極めつけはUKポストロックの代表格、Mogwaiによるリスペクトです。彼らはCodeineからの音楽的影響を公言。自身のレーベルRock Actionでは、初代ドラマーChrisのソロアルバム『Incredible Love』のリリースも手がけました。

そして2012年、Mogwaiは自らキュレーターを務めるロックフェスティバル『ATP I'll be your mirror』にCodeineとしての出演をオファーします。それまでそうした話は断っていたと言う彼らですが、時を同じくしてシカゴのコレクターズレーベルNumero Groupより、Codeine全作品のリイシューおよび未発表音源を収録したボックスセット『When I See the Sun』が発売されることに! これを受け、遂にCodeineはオリジナルメンバーで再結成を果たします。

しかしStephenとJohnが既に音楽業界を離れて別の仕事をしていることから、再結成はあくまで限定的なものでした。アメリカとヨーロッパにおける20カ所に満たないツアー(日本でも元Gastr Del SolのJim O'RourkeキュレーションによるATPフェスに出演予定でしたが、イベント自体が中止に……)を敢行。ニューヨークでの公演を最後に、再びその活動に幕を下ろしました。

 

Codeineは商業的な大成功を収めたわけでもなく、ロックの教科書に載るようなタイプのバンドではないかもしれません。しかし音楽シーンのトレンドや、それにまつわる文脈から外れた場所にひっそりと位置するその独自の音楽性には、歴史的な意義や意味を抜きにして、今なお耳を傾けてみる価値があると思います。

 

最後にメンバー公認の元にアップロードされたというPVがyoutube上にあるので、ご紹介したいと思います。ぜひラストシーンに映る、ベースに貼られたステッカーに注目しながら楽しんでください。きっと彼らに親しみが湧きますよ。

 

2ndアルバム『The White Birch』収録「Loss  Leader」

www.youtube.com

 

あぁ、本当は4月中にブログを始めようと思っていたのに、もたもたしている間に5月も終わりになってしまいました。そのせいで内容と季節が噛み合わない結果に……。

しかしそんなノロマなグズにもCodeineの奏でるスローなパンクロックは、猛スピードで過ぎ去っていく月日の中、変わることのない鮮烈さで悲しい温もりを投げかけてくれます。

 

 

追記:

2022年9月、彼らの未発表音源集『Dessau』がNumero Groupより突如としてリリースされました。Chris脱退直前の1992年6月にHarold Dessau Recordingにて録音されるも、音響トラブルにより廃棄・お蔵入りとなっていた音源を復元した作品で、多くの楽曲は後に再録がなされていますが、オリジナルとしては30年の時を経て初めて世に放たれることとなりました。

codeineband.bandcamp.com

さらにNumero Groupは、レーベル設立20周年記念イベントを2023年2月にロサンゼルスにて開催することを発表。Dougの参加するRexやオリンピアのアート・ロック・バンドUnwoundらと共にCodeineの出演も決定し、Stephen、John、Chrisの3人は11年ぶりとなる再集結を果たしました。

Stephenによれば、今回の再結成も限定的なものになるとのことですが、意外にも他のメンバーは継続的な活動の意向も示しており、ライブ活動も思いの外、長く続いている模様。もしかすると、いつかは新作が聴けるような日が来るかもしれません。

 

そしてなんと!  2024年4月、結成から35年目にして初となる来日ツアーの開催が実現! June Of 44の来日も手掛けたimakinn recordsの招聘により、東京、京都、名古屋の3都市4公演を行うことが発表されました。

まさか、まさかこんな日が来るとは……。春の日に、熟成された悲しみのワインをたっぷり味わえることを今から心待ちにしています。

 

 

参考: 

L.A. RECORD「CODEINE: KIND OF CAT FRIENDLY(StephenとJohnのインタビュー)

blurredvisionary「Codeine: The Welcomed and Unexpected Relapse of “Slowcore”」(ChrisとStephenのインタビュー)

DAVID RAT'S BLOG: "RAT BITES"「Doug Scharin, Codeine, and The White Birch interview」(Dougのインタビュー)

Brooklyn Vegan「An interview with Codeine (who play Bell House TONIGHT)」(StephenとJohnへのメールインタビュー)

SOUL KITCHEN「[1990-2020] DIX CACHETS DE CODEINE(Johnのインタビュー)

self-titled「THE SELF-TITLED INTERVIEW: James Plotkin vs. Codeine」(KhanateのJames PlotkinによるStephenのインタビュー)  

Ptchfork「Codeine: Frigid Stars/Barely Real EP/The White Birch Album Review」(全作品リイシュー時のレビュー) 

The New York Times「Grunge’s Estranged, Desolate Cousins」(再結成時のライブレビュー) 

Codeine talk reunion, unearthed 'Dessau' LP, their legacy, black metal & more in new interview(再々結成時のインタビュー)

 

Broken-Hearted Wine

Broken-Hearted Wine

  • provided courtesy of iTunes
Frigid Stars Lp

Frigid Stars Lp

  • アーティスト:Codeine
  • 発売日: 1994/01/01
  • メディア: CD
 
Barely Real

Barely Real

  • アーティスト:Codeine
  • 発売日: 2000/10/02
  • メディア: CD
 
White Birch

White Birch

  • アーティスト:Codeine
  • 発売日: 1994/03/29
  • メディア: CD
 
When I See the Sun [12 inch Analog]

When I See the Sun [12 inch Analog]

  • アーティスト:Codeine
  • 発売日: 2012/06/19
  • メディア: LP Record
 
サブ・ポップ・BBCセッションズ

サブ・ポップ・BBCセッションズ

  • アーティスト:オムニバス
  • 発売日: 1995/04/25
  • メディア: CD